『そういう店ではない』 「ラヴァージュ・デ・クール」というレストラン、知っている人は知っていると思う。 元は街の小さな喫茶店だったのが、このところ全国的に店舗を増やしている。 遠海悟が住むこの松之江市(まつのえし)も、その例に漏れなかった。 「コスプレはあんまり好きじゃないの? お前」 「中身はあくまで三次元だからな」 興味もないのに悪友の古谷隆太郎と行くことになったのは、一つ理由がある。 幼なじみの藤井澄佳に、来るよう頼まれたからだった。 彼女の親友、志木梓はラヴァージュでバイトをしているのだが、先日からインフルエンザでダウンしている。 回復には時間がかかりそうで、そこで梓は澄佳に代役を頼んだ。 「梓に電話で頼まれちゃって。すごい苦しそうな声だし、私も断りにくくて……」 そんなふうに言っていた。 悟は隆太郎に言った。 「どうにかシフトで回せないもんかね? なにも臨時を雇わなくてもさ」 「あそこ、元々常時人手不足なんだよ。店長がよく嘆いている」 「なんで? しょっちゅう人が辞めるような、悪徳企業なのか?」 「そんなはずない。厳選してスタッフを雇ってるせいだよ」 「というと……?」 「ルックス重視。店長によるとアイドル並みを要求しているらしい」 隆太郎は唇の端を曲げて笑った。 「なにせあんな格好だろ? 顔がよくなきゃ話にならない。だからだと」 「なるほどな……」 男性客に人気が高いらしいが、それもうなずける。 「志木ももちろん美人だけどよ。藤井もすげぇからなぁ……」 確かに、澄佳はそれこそアイドル──しかもトップ──といっても通じるほどの美少女だ。 ラヴァージュの制服を着たら、さぞ似合うことだろう。 店の前に着き、隆太郎は中を覗き込んだ。 「相変わらず野郎ばっかりで混んでるな」 ドアをくぐると軽やかなベルの音が鳴った。 音を合図に、ウエイトレスが近づいてくる。 澄佳だった。 「あ……来てくれたんだ」 ホッと息をついた様子だった。 悟は三次元に興味がない──それは本当のはずだ。彼は二次元オタクだった。 悪友に連れられラヴァージュに初めて行ったときだって、コスプレのような格好を、特に何とも思わなかった。 それがいまはどうだ。 思わず澄佳に見とれていた。 「……悟くん?」 夢から覚めたような気持ちで、悟はあわててテーブルに向かった。 注文を控えて厨房に向かう澄佳の後ろ姿を、ぼけっと見送る。 剥き出しの肩や豊かなバストも目に毒だったが、ミニスカートにニーソックスにもまた、視線が吸い寄せられてしまう。 「くくっ」 隆太郎が不気味に笑った。 「なんだよ」 悟は唇を尖らせる。 「いや、何だかんだ言って、お前も女の子に興味津々じゃねえか」 「俺は……」 「わかってる。相手が藤井だから。だろ?」 図星だった。悟はムスッと黙り込むと、お冷やを口に運んだ。 「怒んなよ。むしろいいことじゃんか。ネ申、だっけ? それよかマシなんじゃねえの」 「まあな」 澄佳はいまは他のテーブルを回っている。 目で追っていると、思わずため息が漏れた。 幼なじみなんだから、見慣れているようなものなのに。服装のチカラというものも、あながち馬鹿にできない。 むろん、それも中身次第だろうけれど。 「お待たせしました」 注文の品を澄佳が運んできた。 「アイスココアのお客様」 悟は吹き出した。 「お客様って、相手は俺らなのに」 「そうだけど」 苦笑する澄佳。 「でも、何だか雰囲気出ない?」 服装がよく似合っているため、黙っていても雰囲気は出ている。 悟は尋ねた。 「大丈夫? バイトの方は?」 「うーん」 うなったきり、澄佳は肩を落とした。 「結構失敗続き。お皿を割ったりとか……」 「まあしょうがないよ。いきなり働けって言われて、誰だって困るに決まってる」 「うん……」 心細さから、澄佳は悟を呼んだのだろう。 なおも励まそうとしたとき、厨房から声がかかった。 「すみませーん。ミルクセーキ、3番テーブルさんにお願いしまーす」 「あ、はーい」 悟は隆太郎の方に顔を戻した。 「思ったとおりだ。澄佳、おっちょこちょいだから、こういうのは向いてないと思ったんだよな……」 「さすがだな、悟。藤井のことでは詳しい」 「馬鹿言ってろ」 バタンと人が倒れる音がし、驚いて振り返った。 つまづいたかどうかしたらしく、澄佳が尻もちをついている。 「だ、大丈夫か?」 あわてて駆け寄ると、澄佳は何故か白濁液にまみれていた。 かたわらには割れたグラス。そうか、ミルクセーキ──。 おお、というような歓声が不意に周囲で沸き起こった。 男性客が好色そうな目を澄佳に向けているのだ。 視線で撫で回すようなその感じに、思わず頭に血が上った。 「み、見るんじゃねぇ!」 声を荒げると、澄佳に覆い被さり、体で隠そうとする。 「痴漢?」からかうような声に対し、澄佳がいつになく、きっぱりと言った。 「違います。この人は私の……幼なじみです」 結局その日は早退していいことになり、澄佳と一緒に帰ることにした。家が隣のため家路は同じだ。 「ありがとう、悟くん。助けてくれて……」 頬を染めている。 悟は照れくさそうに目をそらした。 「やってから失敗したかなと思ったんだけどさ。騒ぎになって」 「ううん、そんなことないよ。店長もべつに怒っていなかったし……私、嬉しかったな」 澄佳は穏やかにほほえんでいる。 だったらよかった──悟も晴れ晴れとほほえんだ。 |